Ruby on Rails 学習帳

Ruby on Rails を学びEdtech系 クラウドサービスを作りたい。wまでの色々を綴ります。

民主主義の終わり?

民主主義が優れた構造なのか、疑問がある。べつに、社会主義がいいとかいった類の話しではなく、ようは今の社会構造自体が最終形ではないのでは?と思うのです。先進国は医療が発展して長寿化し、少子化が進む、少子高齢化になっていくと圧倒的に高齢者優位の政策になっていくのでは、日本は政治に参加しない国民が多いから現状そうなってるけど、社会保障の年金問題なんかもっと酷い。

あきらかにおかしな理屈にも関わらず、構造を変えようとせずに、お金の徴収だけ増やそうとしている。正直、消費税を目的税として社会保障にあてるのは別に問題じゃない。

問題なのは、年金の制度が経済成長が5%ぐらいで成り立つ制度で、未来から過去への仕送り式にしている事が問題では?という事は、未来=若い世代 過去=現在年金をもらっている世代とすれば、若い世代から現在年金をもらっている世代に仕送りをしているという構造です。

しかも、現在年金をもらっている世代というのは、高度経済成長していた時期に働き盛りだった世代。その当時は働き盛り世代がお金持ちで、当時に年金をもらえる世代はこの恩恵を受ける事ができなかった社会的弱者の為、可哀想論が通り仕送りをしてあげようが享受できたというわけだ。

そして、もちろん働き盛りの人達は大勢いたのです。この人達が今じゃもらう側。今は仕送る方が苦しい時代ですが、もらう側の方が大勢いるのですから、この構造を変えるような政策は反対です。しかし、結局それで、仕送りする方が実質無理!といったり、こんな政策はおかしいといって払わない。

となれば、結局もらえる側にいくお金がない状況になりますが、国としては払わない事にはいかないので、国債を発行していまや借金大国という事に、しかし国債の保有者は国民だから大丈夫という変な理屈が議論されているのです。

たしかに、国債を購入しているのは、日本の生保、銀行、郵貯などで95%だそうですが、国民一人一人が受けているサービスにかかる費用が税金でまかなえ切れずに国債を発行しているという事は、税金でまかなえないサービスを廃止するか、サービスを持続させるために税金をあげるかしなければいけないのに、サービスを拡充するけど、お金はいりませんって無責任な政策をしてきたせいでもあるわけです。

ここでも過去のつけを未来から搾取するという構造になっているのです。という事で、簡単にいえば過去のつけを未来から搾取するモデルをやめましょう。という事が大事になるのですが、それをすると痛みをこうむる人が大勢いるので、また先送り。

結局は誰が一番つけを払うのか?という問題でいうならば、今現在政治参加できない若い世代の人達で、20歳未満の人々です。政治に参加できる人達が政治に参加できない人達に対して付けを払わせるような政策をしているのは、20歳未満の代弁者たる国民の代表者が立候補しないからです。

なぜしないか?立候補したところで、当選しないからです。だって支持者は選挙権ないんだから。という事で、日本の民主主義の政治政策の構造がそうなっていないからとも考えられませんか?というわけで、民主主義ってのが最終型とは思えないので、時代に応じて日本の国、社会構造がもっと変化しても良いのでは?またはそういう時期に来ているような気がしています。